×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

寝てばっかりで大金を稼いだ「三年寝太郎」は実在した!? 武田信玄ゆかりの武将だった!? 

日本史あやしい話34

 

■三年寝太郎のモデルは武田信玄ゆかりの戦国武将だった!?

 

 興味深いのは、三年寝太郎のモデルが戦国時代の豪族で、清和源氏・義光の流れを汲む御仁だったこと。その名は、平賀清恒(ひらが・きよつね)。その父・玄信(源心)が、なんと、かの武田信玄ゆかりの人物だったというから、俄然興味が湧いてくる。

 

 実は、清恒の父・玄信は信濃国佐久郡平賀城主で、武田晴信(信玄)の初陣・海ノ口城の戦い(1537年)の対戦相手として知られる人物であった。ただし、この時の戦いに勝利したのは信玄の方で、玄信は城を落とされ、討死している。

 

 そのため、息子の清恒は姉の夫・冷泉隆豊(れいぜいたかとよ)を頼って周防国へ向かったとか。しかしこの御仁、運に見放されたのか、大内義隆が家臣・陶隆房(晴賢)の謀反によって殺された大寧寺の変(1551年)に巻き込まれて、やむなく厚狭の地へ逃れて帰農している。

 

 この清恒がどういう経緯かは不明ながらも、寝太郎のモデルになったとみなされるようになったのだ。おそらく、清恒は厚狭の地へ移って以降、その地の開拓に乗り出し、それなりの成果をあげたのだろう。

 

 ただ、なぜ「寝太郎」という怠け者にたとえられたかは不明。清恒ばかりかその父・玄信まで実在が疑われることもあるから、何とももどかしい。それでも、玄信(源心)の首塚が山梨県北杜市須玉町若神子に、胴塚が長野県南佐久郡南牧村に現存していることなどを踏まえれば、その子・清恒の実在も信じたくなるのである。

KEYWORDS:

過去記事

藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

最新号案内

『歴史人』2025年10月号

新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル

邪馬台国の場所は畿内か北部九州か? 論争が続く邪馬台国や卑弥呼の謎は、日本史最大のミステリーとされている。今号では、古代史専門の歴史学者たちに支持する説を伺い、最新の知見を伝えていく。